ステュディオス

下流社会の一節にある「ドラゴン桜の面白さは、社会にある不平等を、自由、個性、オンリーワンなどという言葉で隠している大人の欺瞞を暴き、子供たちに社会の真実をしらしめ、だからこそあきらめずに努力しろと主張するところにある。」とあるくだりを真に受けて、ドラゴン桜のコミック1巻〜11巻まで読了。

色々考えさせられるものがあった。内容的には、「なぜ東大を受けるのか」「大学(東大)受験にはどんな能力が求められているのか」「勉強のやり方」の3つに主眼がおかれて展開するドラマ。抽象的な言葉でごまかすことを排除する論調で、読んでいて気持ちがよい。とにかく画が下手糞で漫画文法的には読みづらかったが、高校に入る前に自分がこれを読んでいたら面白かったかもしれない。漫画でこれほど具体的に勉強の仕方について説明されているのはとても新鮮だ。

自分の大学受験を振り返ってみると、「漫然と且つそれなり手を抜かない程度」にのらりくらり位でやって、運よく望みもしない学科に現役合格した。入学するやいなや、欠員が出て、望んでた学科に組み入れられるという、人生の運を使い果たす感じで入学した。高校生活は苦労したが、受験それ自体にはそれほど苦労していない。

(ある一定以上の)大学に入るか入らないかでその後の人生に歴然とした差があるというのは私の持論と合致する。大学生のときやったバイトとか、サラリーマンになってそれは痛感する。はっきりいってブルーカラー以下は割りにあわないと思う。ブルーカラーのその下はもっと悲惨だ。本当に割りにあわない。

もうひとつ気になるくだりがあって、東大受験で恐ろしく勉強のできる「宇宙人」と分類されるひとたちが登場する。勉強の効率も然ることながら飛びぬけた偏差値の輩。ドラゴン桜では、彼らの「宇宙人たりえる原点」は幼少期の異常な熱中体験がその後の知識習得メソッドの種となり、好転を続けていつの間にか宇宙人になっているというパターンで説明されている。このくだりを読んで、最近Podcast[♯002 TALK dictionary @ 佐藤雅彦×茂木健一郎]で佐藤雅彦の言っていた、ステュディオス(人間が生き生きとしている状態)というやつと同じ事を言っているなと思った。

子供がステュディオス体験できるようにするためには親のDNAと気持ちの余裕、が必要なのではと思った。