かの国はスケーラブルである

アメリカに行ってきて思ったことのまとめ。

色々な物の構造が単純であり、それらを積み上げて社会が形成されている。故にスケーラブル(横に延ばしていくのが得意で拡張性が容易)である。

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例えば、建物・道や街・職業などが特に目についた。

まず建物。
高級住宅であろうが倉庫であろうが建物の構造が単純だった。HyattRegencyという一泊二万円強のそれなりと思われるホテルに泊まったが、細かい箇所で構造物の仕事の雑さが目についた。車で高級住宅街と思われるエリアにも迷い込んだが、正直建物そのものに価値があるようにはみえなかった。すみわけられた地域そのものの価値が高く評価されているようにみえた。

次に道や街。
道の名前や交差点の名前がユニーク(付近で唯一の名前)に命名されている。例えば日本では○○町××△△-□□というような住所で、××の範囲が明確でないため、追いにくい。一方のかの国では○○町××通り△△という表記が一般的で、××通りは付近では唯一であるが故その通りの△△という番地を辿る事が容易で非常に特定しやすい。町によって雰囲気は日本のそれとは大きく違い、画一的ではなく貧富の差が激しい。すみわけが進んでいる。

最後に職業。
ホテルの従業員や周辺のタクシードライバーなど、担当によって仕事の内容が分別されており、また担当している人種が偏っていて、生活水準によって働く内容が決まっているようにみえた。今回のカンファレンスにしても同様に、DBA(DataBaseAdministrator)とプログラマは担当が別れていた。

三つについて共通しているのは、部品自体の偏りを避けて、単純な構成物を使う事を徹底し、スケーラブルにして規模で要件をカバーしている所にある。また、機能によってすみわけられてモジュールごとの役割分担が明確になっている。

文化や歴史の積み重ねが薄いからそうなっているのか、意図的にそうさせているのか、そうしないと社会が成立しないからなのかどういう理由でそうなっているかわからないけれども、ひとつ言えることは、この社会の構造はコンピューター指向(強いてはシステム指向)にとてもマッチするであろうということだ。上から下まで全員が全てを知る必要がない。ある特定の絶大な権力を持った人間が明確にスピーディーに各モジュールに対し命令を下せばシステムが機能する。その総力を肥大化させてやれば強大な力が働く。

日本は資本主義ではなく、社会主義なんだって事を痛感させられたのであった。