息子に「どういうひとが、あたまがいいの?」と夕食時に突然聞かれたがうまく答えられなかった

IS01に向かって「キバゴ」と叫ぶ息子。今日のポケモンに出てたのかな。

能力の高いものをどう活用するかについては論じられることは多いし、成すべき事というものは高みに置くのが常であるから、どうしても「いかにこの(優秀な)ツールは大成のために有用であるか」を雄弁と語る事は日々持て囃されるし、そう説明することは虎の威を借る狐ではないが比較的容易だ。例えば坂本龍馬ブームに乗じて変革による大成を語ったり、普段読書を大してしていないが「もしドラ」をこないだ読んだと講釈をたれる上司とか。

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岩崎 夏海

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しかしながら実際は、身近な事においては能力の低いものをどう活用するかという事の方が機会配分から言うと圧倒的多数であるし、やはりそこが肝要なのであって最近はそれに頭を使うことが多いとこのごろ日々感じている。世の趨勢であるBRICs経済しかり、Think Horizontalな世界にしてスケールさせる事ばかりだ。

ところで「わかる」とは漢字を含めて書くと「分かる」と書き「理解する」と同義である。どちらも「分」「解」と、物事を「分ける」=「分解する」事が理解することの本質であるとも言うことができる。人間は物事を「分類する」と「わかった!」と思うようにできていると感じるし、何より気持ちいい。

「体系づける」という言葉も関連した近い意味を持つ。系=システムを理解するということは個別の事象がどのような要素がどういう順番で相互に関与しているか、影響しているかを個別および全体として把握する事に他ならない。抽象的な事を具体的な事例を元に説明すると「わかった」と思うことも似ているところで、具体的(ミクロ)と抽象的(マクロ)の配分をバランスよく身につける事で本質を理解し、同時にそれはどちらも不可分である。すなわち具体論を知らずに抽象論のみで全体は構成できないし、具体事象を集めるだけではただの知識であって知恵ではない。

この分解して体系付ける作業を日々どれだけ蓄積できるかが能力の高い低いを決定すると思っている。先天的な能力とそれを引き出す日々の思考する努力、それが現在の人の総合的な能力を決定づける。それを一般言葉で「頭が良い」「頭が悪い」というのではないかと思う。

どういう経緯だったか忘れたが、確かはやぶさのカプセルに粒子が入っていたニュースだかを見ていて息子に「どういうひとが、あたまがいいの?」と夕食時に突然聞かれたので、先述の能力云々についての事が脳裏をよぎったのだが、これらを一瞬でこどもに説明するには大変難しかった。

ただ、漠然と「掃除ができる」「分類しよう」「工夫ができる」「知識ではなく知恵(遂行能力を含む)」「宿題は先にやろう」という事ぐらいに抑えて説明しようとしたが、それでも全体としては破綻した説明になってしまうし「わかった!気持ちいい!」的なインセンティブは発生しないしで彼の心には響かなかったようだ。

まだまだ池上彰には遠いようである。