ゆるやかな統治

高校まで本がとにかく嫌いだった。原因は明確で、親に「本を読め」と言われつづけたり、読む本を強制されたからである。小学校前半で母には世界名作文学みたいな分厚い本を読まされた。西遊記とか十五少年漂流記とかが厚さ三センチずつ位あるやつ。「面白いよ」と親に気を使って嘘の感想を言ったりしていた。父には小学校低学年のラグビーの遠征試合に出かける時、宮沢賢治の「風の又三郎」を渡され、中学生の時に島崎藤村の「千曲川のスケッチ」を渡されたのはハッキリ覚えている。勿論その二つは全く読んでいない。子供の頃にとにかく本を読めと言われ続け、それが自分の中で「義務」に変換されてしまって悪循環に陥ってしまったのだと思う。

今、幸いにして程度は低く稚拙な内容なのかもしれないが、本を読めるようになった。さっきamazonの購入履歴を見たら半年で書籍購入冊数は37冊だった。1週間に1.5冊というペースだろうか。読めるようになったきっかけは大学の時に友人に「本が読めない体質で困っているんだ」と相談したところ、すすめてもらったとある文学小説だった。多分、たまたまその時の自分の気分にマッチしていたんだと思う。社会人になって本を読むのが止まらなくなっているのだけど、実家に帰っても本を読み続けていたら父親に「昔からお前に小さい頃から俺が本を読めといっていた。今そこまで本をよく読んでいるのは俺のおかげ。」的な事を言った。凄く悲しい気持ちになった。

最近、伊集院光のエッセイ「のはなし」を読んだのだが、その「お小遣い」の話が素晴らしかった。

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僕の家は本の虫である父親の方針で「本を購入する代金に関してはこの1000円(小学校高学年時のお小遣い)に含まず」という特典が付いていた。しかもこの「本代」には漫画の単行本も含まれていて、月に2000円は優にこの枠で漫画や本を買っていた(もっと詳しくいうと、近所の本屋に「つけ買い」が出来るようにあらかじめ取り計られていて、本屋から勝手に好きな本を持ってきて父親に見せると、父親が買ってよいかどうかを判断する。たいていの場合はOKで、たしか「がきデカ」「まことちゃん」あたりがNOで、本屋に返しに行かされた。けれども「読んだらいけない」というのではなく「勧めはしないけれども、買うのは自由だから欲しければその本は小遣いの枠で買え」といシステムだった)
のはなし/伊集院 光 (著) :「お小遣い」の話


必要だったのは君臨ではなく柔らかい統治だったのだ。と、この本を読みながら思った。

本を全然読まないと、つまらない本しか選択できなくなるんだと思う。私の子供たちがその悪循環に陥らないように私も気をつけたいと思う。これは何も本だけじゃなくて、色々な場面で思い浮かぶ事だ。一方で「ゆるやかな統治」と「甘やかし」が渾然一体とならないように気を払っていきたいとも思う。