苦労と喜び

最近、休日やら時間があればやってみたいと思うことが、病んでいる普段の自分を露呈するが如しである。

せっかくの休みなのになぜ、労働にも似たような事をしたいと思うのか。それを考えると、以前は自覚のない恵まれた生活をしていた事に気づかされる。

自分の為の時間というのは、過去思っていた以上に与えられないものなんだなということが最近わかった。

でもそんなの、拘束されてからはじめてわかるものじゃないか。
それともわかっていなかったのは俺だけだったのか。

夜も更けるとこういう無駄な自問自答が頭の中ではじまるのは、まだ余裕がある証拠か。