おもちゃ

親になると言っても、男にはすることはほとんどない。あるのかもしれないが、僕は何もしていない。都合のいい考えかもしれないが、女性の方が子供に関して考えたり世話したりするのに長けていると思えるし、行動力がある。僕がはっきりと言い切れることといえば、ひたすら毎日サラリーを稼ぐメンとしての役割くらいしかない。自営業でも金持ちでもないのだから、子供と接することのできる機会も限られている。主役は常に母親だ。

そんな僕が子供にメッセージを送ることのできる方法は何かと考えてみたのだけど、いいヒントを妻がくれた。欧州の知育玩具だ。考えるのが得意な人と、教えるのが得意な人がいるように、教育にはセンスがあると私は思う。その教育センスを助けてくれるのはこれなんじゃないかと思った。

特に日本のおもちゃや教育はダサさにあふれていると思う。
その原因は教育勅語などから受け継がれてきた、日本人が美徳とする教育の最大の弱点なのではないか。教育基本法で謳われている「普遍的にしてしかも個性ゆたかな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。」の前文を読んで、自分の今まで受けた教育をふりかえってみると矛盾を感じる。個性を大事にする教育は皆無だったと感じる。それは一律教育では仕方のないことで、限界があるからだ。

自分の頭で考える事が一番大事で、今の日本では一番難しいことだ。選択肢がありすぎて、結論を特に求められない環境で、何を正解として自分で導くかが大人でも困難だからだ。それを解消するには自分で考え、答えを出す訓練を積むしかないと私は思う。

そんななか、僕を夢中にさせているのが前述の北欧系「知育玩具」だ。
自然に考える訓練を子供にさせるというのはめちゃくちゃ難しい。強制であってはダメで、強制でないとならないからだ。めちゃくちゃ頭のいい人が考えた装置を借りるという感覚で何を買おうか選んでいる。

しかしこれが、自分自身を夢中にさせる。
装置としての完璧さ具合に僕自身がドキドキしてしまうのだ。すべてに根拠があり、体のなし方が美しい。そして、その装置でプレイしている自分自身と生まれてくる子供の姿を想像するだけで時間が過ぎていく。まるで小さなディズニーワールド。

この麻薬をしばらく探求していきたいと思う。